鈴木基
*本草稿は継続的に修正・更新されます。最終更新:2025.10.5
目次
はじめに(2025.8.23 初稿掲載)
第1章 経験について(2025.9.23 初稿掲載)
第2章(2025.12 掲載予定)
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はじめに
新型コロナウイルス感染症の世界規模流行(パンデミック)が始まってから、すでに5年以上が経過した。この間に世界中で多くの人々がこのウイルスに感染し、多数の重症者と死亡者が発生した。その影響は健康被害に留まらず、私たちの生活の隅々にまで及び、社会全体を覆った。
簡単に振り返っておこう。2020年1月、世界保健機関(WHO)は国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)を宣言し、同年3月にはパンデミック状態にあることを認めた。各国政府は感染拡大を抑えるため、国民に対して国内外の移動制限や外出制限を課し、学校や商業施設を閉鎖した。その結果、いわゆる「ロックダウン」や「ステイホーム」が日常となった。
人びとは不自由な社会生活のなかで、インターネットを通じて情報を入手し、毎日更新される世界各国の感染者数と死亡者数を確認しては、自国が他国より少なければ安堵し、多ければ政府の無策を非難した。そして不確かで解釈が定まらない情報に不安を抱き、家族や知人と議論し、自身の考えをSNSで発信した。なかには専門家と称して自説を展開し、一定数の支持者を集める者も現れた。
研究者たちはウイルスの特性と流行メカニズムの解明に取り組み、政府や企業と連携して診断薬、ワクチン、治療薬の開発を急いだ。そのひとつの成果として、新型コロナワクチンが実用化され、かつてない速度と規模でワクチン接種キャンペーンが展開された。その一方で、国際的な接種格差やワクチン忌避といった問題が浮上した。
その後、次々と新たな変異株が出現し、流行の波が繰り返すなかで、経済活動や社会活動が停滞し、「出口戦略」、すなわち何をもってパンデミックを「終わった」とみなすかが議論された。やがて感染後の重症化リスクが低下したことが確認され、多くの国が段階的に諸制限を緩和していった。そして2023年5月、WHOはPHEICの終了を発表した。
現在、各国政府は次のパンデミックに備えて戦略計画の策定や省庁の再編を行い、情報収集と研究開発の体制強化を図っている。国際的にも国際保健規則の改正やパンデミック条約の締結に向けた動きが進められている。こうした制度改革や法令改正に合わせて事後検証も行われたが、それらが必ずしも徹底的に行われたとは言い難い。
ただ、それを政府や研究者だけの責任として非難するのは筋違いだろう。なぜなら私たち自身が、このウイルスに対する興味をすっかり失い、話題にすることもなくなったからである。あれほどまでに世界中の人々を巻き込んでいた出来事を、あたかも一時の気の迷いであったかのように、記憶から消し去ろうとしているようにさえ見える。
これが、パンデミックの発生から5年が経過した私たちのおよその現在地である。このような状況で、誰かが「これから新型コロナウイルス感染症のパンデミックとは何かを考えよう」と呼びかけたとしたら、周囲はどう反応するだろうか。おそらく、その人物を、よほどの物好きか、特異な思想の持ち主と見なすに違いない。親しい友人であれば、「確かにあの頃は大変だった。でも騒ぎはもう終わったんだ。気持ちを切り替えて目の前のやるべきことに集中しろ」と諭すだろう。
確かにその通りではある。私たちは身近な心配事から紛争や気候変動といった地球規模の課題に至るまで、さまざまな解決すべき事がらに直面している。いつまでも感染症のことだけを気にかけている余裕などないというのが、常識的な反応だ。しかし、それを承知の上で、私は問いかけたいのである。私たちは本当にこのまま「終わった」ことにしてしまってよいのか、と。
なぜか。それは、私には何が「終わった」のかがわからないからだ。事実、新型コロナウイルス感染症のパンデミックは終わっていない。いまも流行は続いていて、毎日世界中で多くの人々が感染している。少なくとも終わったのが、ウイルスの流行ではないことは確かだ。ではそれは人間の側の恐怖心や警戒心なのか。そうした漠然とした感情に支配されていただけだというには、あまりに現実社会への影響が甚大だったのではないだろうか。
また、それが何であれ、なぜ終わったのかもわからない。私たちはパンデミックが始まった当初、このウイルスに感染しないように他人と接触することを避け、社会全体の感染者数を減らそうと、人類が何世紀もかけて獲得した移動や集会の自由を制限することすら受け入れたのだ。それが、いまでは流行も死者の発生も、日常の一部として受け入れている。この変化には、感染による獲得免疫の効果に加えて、変異株(オミクロン)の出現によって感染後の重症化率が大きく低下したという情報と、ワクチンの普及が影響しただろう。ただ、本当にそれだけなのか。仮に現在に至るまで重症化率に変化がなかったとしたら、いまも「ステイホーム」を続けていたのだろうか。
あるいは、最初に設定したゴールに到達したから「終わった」というのであればわからなくはない。しかし、そもそも私たちはどこを見据えてパンデミックと闘っていたのか。そのゴールは、いまのこの状況だったのか。もしそうなら、これを何と呼ぶべきなのか。
こうした疑問に、私たちが答えを持ち合わせているとは思えない。それなのに、どうして「終わった」ことにできるのか。
思い返せば、パンデミックの只中で、私たちは対策の目的や意義をめぐって激しく議論を交わしていた。「新型コロナウイルスはどのような特性をもっているのか」「ワクチンはどの程度有効なのか」といった経験科学的な問いにとどまらず、「ウイルスの排除か共存か」「生命を守るのか、それとも社会生活を維持するのか」「科学的事実か政治的判断か」といった対立軸を設定し、科学技術、自由、政治制度といった広範な主題について――あえてそう呼ぶなら哲学的な――問いを立てていたのである。にもかかわらず、こうした問いが十分に掘り下げられ、対策の方向性に実質的な影響を及ぼすには至らなかった。
私はその理由は2つあると考える。第一に、これらの議論が既存の思考の枠組みをなぞるだけで、そこから踏み出すことがなかったことである。たとえば、公衆衛生政策と個人の自由をめぐる初期の議論では、過去の政治哲学者たちの言説が繰り返し参照された。だが、これらの枠組みが今回のパンデミックを取り巻く状況の特殊性と複雑性を十分に捉えきれていないことが次第に明らかになっても、その再構築はされなかった。
第二に、こうした議論の多くが構築主義的立場にとどまり、科学的事実をカッコに入れたまま進められたことである。たしかに、ウイルス学や疫学を含む経験科学の営みについて批判的に論じられることはあったが、「ウイルスは存在するのか」「どうやってヒトからヒトに感染するのか」といった事実に関する問いに対して、経験科学以上の有効な言葉を提示することはできなかった。
これらのことは、私たちが人類史に記録される未曽有の危機に直面しながら、それを哲学的に思考することができなかったことを意味している。もっとも、それもやむを得ないことなのかもしれない。前世紀以来の科学技術の急速な進展とグローバル化の進行が全面化する中で、現在の哲学はそこから取り残されないための処世術になっている。私たちは哲学にそれ以上の役割を期待していないのだ。おそらくこのことは、私たちが「パンデミックとは何か」を問うこともなく、それを「終わった」ことにしてしまおうとしていることと無関係ではないだろう。
だが、ここで悲観的になってはならない。これまで取り組んでこなかったのであれば、これから始めればよい。誰も取り組んでいないのであれば、自らがその役割を担えばよい。いま私たちに求められているのは、このパンデミックのなかで私たちが直面した諸問題を哲学的に問い直すことである。そのために、過去の哲学に頼ることはない。現在を共に生きる私たち自身が考え、それを言葉にすることが求められる。それには新たな思考の枠組みが構築されなくてはならない。
パンデミックの記憶が過去のものとなりつつある今こそ、その作業に着手すべき時である。
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本論で私は、「パンデミックとは何か」という問いを哲学的に探究する。議論の見通しをよくするために、ここではその目的と方法について簡単に説明しておく。
まず、本論の主目的は次の問いに哲学的に答えることである。
問い:新型コロナウイルス感染症のパンデミックが発生して間もなく、世界中のほぼすべての国家が、その国民の外出、移動、集会等の自由に対して広範な制限を課した。数年後、感染症の流行がまだ続いているにもかかわらず、それらの制限を解除した。これはなぜか。
探究の過程で問いが枝分かれしていくだろうが、本論がこの問いに貫かれていることを見失わないようにしたい。
次に本論の探究の方法は、一言で言えば「経験を反省し、変わるものと変わらないものとを見分ける」作業である。
たとえば、目の前にリンゴがあるとする。私はそれを見てリンゴだと思い、手に取り、齧って食べる。そしてふと思う。いまリンゴであると思っているそれは、本当にそこにあるのか、と。もしかすると、私はただ夢を見ているのかもしれない。あるいは悪魔が私を欺くために、映像を網膜に投影し、視線の動きに合わせて操作しているだけかもしれない。確かに手を伸ばして触れば硬さを感じる。しかし、それも悪魔が私の指の動きに合わせて圧力の感覚を与えているだけかもしれない。齧ると甘い味がするが、これも悪魔の仕業かもしれない。いや、そもそも私を欺こうとする悪魔じたいが私がつくりだした妄想ではないだろうか。このように考えれば、私はどこまでも疑い続けることができる。
一方で、「リンゴは本当にそこにあるのか」という問いに答えが見つからなくとも、私の日常生活に不都合はない。なぜなら、その答えが何であれ、あるいはそもそもそのような問いをたてずとも、視線を動かし、指で触れ、齧るという一連の行為に伴って一定の印象が現れていることに変わりはないからだ。それらの印象は常に同じではなく変わり続けているが、全く同じものがないというわけではない。変わるものと変わらないものにわかれながら、そのように現れている。私にとって、そのように現れると期待して、その通りに現れている限り、それをもたらすのが神が保証する真の実在であろうと、悪魔の欺きであろうと、神も悪魔もいなかろうと、いずれでも構わない。私の日常生活にとって重要なのは、変わるものと変わらないものにわかれるだろうという予期なのである。そうすれば指が触れるだろうと予期しつつ、私は目の前のリンゴに手を伸ばすのだ。
経験とはこうした予期の繰り返しに他ならない。そしてこの経験そのものを反省し、変わるものと変わらないものを見分け、経験を構成しなおす作業を、私は経験論と呼ぶ。経験論とは、日常の経験を経験しなおすことである。
これが従来の経験論と何が違うのかと疑問に思う読者のために補足しておこう。本論で展開される経験論は、「存在とは何か」という問いの探究、あるいは「存在の透徹」と呼ぶべき作業の後に展開されるものである。その意味では、この経験論を「存在論的」経験論とか「超越論的」経験論と呼んでもよいかもしれない。
しかし、こうした哲学史的な議論を展開することは、「パンデミックとは何か」を問うという本論の目的にとって本質的なことではない。加えて本論では存在への問いの探究は行わないことから、その方法論に関しても単に経験論と呼ぶことにする(実際のところ、私は上記のような哲学史的な呼称を好んで使いたいとは思わない)。それでも注意深く議論を追えば、本論の中に存在に関する問いの探究の痕跡を見て取ることが出来るはずだ。
なお本論は、その経験論的な探究の作業を順を追って記述するものではない。本論はいわば彫刻作品の解釈に近い。それは、木を削り出す作業そのものを記録するのではなく、完成した彫刻作品を前にして、それを見たり触ったりしながら、その形状や質感を言葉にし、その工程を振り返りつつ作品の意味を解釈する営みである。また同じ形式に関する記述が、別のアプローチで何度か繰り返される。これは形式が別の形式に分節化され、またそれによって再構成されるという関係にあるからである。
そして私は本論を、2020年1月の世界に生きる人々に向けた「預言」のように記述する。奇異に映るかもしれないが、パンデミックの記憶が人々の意識から薄れつつあるいま、現実的な思考を展開するには、この方法が適切であると判断した。また、このパンデミックを契機として生まれた思考の在り方を後世に伝えるための意図も込められている。
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本論
第1章 経験について
日常が続いている。
1.1.予期
朝、目が覚め、布団から出て、顔を洗う。サンドイッチを食べ、オレンジジュースを飲む。玄関を出て、バスに乗り、職場へ向かう。コーヒーを飲みながら、窓の外を眺める。今日もいつもと変わりがない。
もっとも、何から何まで完全に同じというわけではない。布団やタオルは同じものだが、その形や位置は使うたびに違っている。そういえば昨日の朝食べたのはおにぎりだったし、バス停に並ぶ列で前に立っている人の顔は違ったようだ。窓から見える鳥の種類も数も、おそらく同じではない。しかし、そんなことは大した問題ではない。日常は、いまもこうして流れていく。
日常には「何一つ同じものがない」ということはなく、反対に「一切が同じである」ということもない。変わらないものもあれば、変わるものもある。変わらないはずのものが、変わってしまうこともあるし、逆もある。日常とは、その流れの中で、変わるものと変わらないものがわかれていくことである。そして流れの中でそれを経験し、次の瞬間も同じようにわかれるだろうと予期している。
いま私は職場の椅子に腰かけている。デスクの上にあるコーヒーカップに手を伸ばし、取っ手に指をかけ、コーヒーカップを口元に運ぶ。これは、ほとんど意識もしない動作だ。私は、べつにまずコーヒーを飲もうと決意し、次にその形、色、質感からそこにコーヒーカップがあると判断し、さらに中にコーヒーが入っていることを確認し、取っ手の方角に向かって少しずつ距離を測りながら右腕を伸ばす――というような、面倒なことをしたわけではない。私はただ、「そこに黒い液体が入ったものがあって、それを掴んで口元に引き寄せればいつものようにそれが飲めるだろう」という漠然とした予期とともに、習慣的に一連の動作をしただけである。これは「コーヒーを飲む」と呼ばれる以前の現象である。
コーヒーをひと口飲んだ後、コーヒーカップをデスクに置き、振り向いて同僚に話しかける。私が口を開いてある音声を発すると、相手も口から何らかの音声を発する。傍から見れば、「日本語で会話をしている」ということかもしれない。しかし、別に強く意識しながらそうしているわけではない。私が「雨が降りはじめた」と言うと、同僚は「そうだ、Xさんにメールをしなくては」と言った。同僚は私の言葉を聞いて今日の予定を思い出したのだろうか、それとも私と話をしたくないのだろうか。その一言に、相手の気持ちや考えについて思いめぐらしながら次の言葉を紡ぎだすこともできるが、いつもそうするわけではない。私はたいてい、ただ「そうすればいつもと同じように目の前の相手が何らかの言葉を返すだろう」と予期しながら、習慣的に声を発するのである。
このように私は、たいてい明確に意識することもなく、何かを予期しつつ行為している。もっとも、最初からずっとそうだったわけではない。子供のころ、父親が飲んでいるコーヒーカップを触り、思いがけず熱かったので手を引っ込めたら、はずみで床に落ちたことがある。いらい、私は慎重にコーヒーカップに触れるようになった。学生時代の友人に冗談めかして「君はおしゃべりだな」と言ったとき、ひどく傷ついた様子だった。いらい、他人の振る舞いについて発言することは控えるようになった。こうした経験の繰り返しと習慣づけの結果として、いま私はコーヒーを飲み、同僚に話しかけている。
経験とは、日常の中で変わるものと変わらないものがわかれるという予期である。そしてさらに、いま経験したことを振り返って、その中で変わるものと変わらないものがわかれると予期する。これを反省という。私は何かを予期しつつ行為し、それを反省し、予期した通りでなければ、次の行為の予期を修正する。経験は、こうした予期と反省の絶えまない繰り返しだ。その結果、予期したものは、予期した通りに機能すると予期される。この経験を通じて機能しているものを形式という。つまり、私がコーヒーを飲もうとしているときには、たとえば「それを口元に引き寄せればコーヒーを飲むことが出来るもの」という形式が機能しており、同僚に話しかけているときには、たとえば「ある言葉を発すれば何らかの言葉を返すもの」という形式が機能しているのである。
こうしてみると経験の中では、様々な形式が機能している。それらは予期されたものであるから、永遠不変のものではない。ただ、決して不確かであやふやなものというわけでもない。予期と反省の繰り返しを通じてそこで機能し続けている限り、その形式はある強度をもって確かなのである。
1.2.形式と分節化
日常の動作は、おおむね習慣的である。とはいえ、私は手に茶碗を載せたら前に動き出すような、ゼンマイ仕掛けのからくり人形ではない。ただ動作するだけでなく、自身の動作を反省する。つまり経験を経験しなおす。
コーヒーを飲むとき、私は「そこに黒い液体が入ったものがあって、それを掴んで口元に引き寄せればいつものようにそれが飲めるだろう」と予期している。もっともこの記述じたいが、すでにコーヒーを飲む動作についてのある反省を伴っているから、まさに動作しているときの予期がどのようなものであるかは、そのつど違っているだろう。このような予期を反省すると、そこにはたとえば「それを口元に引き寄せればコーヒーを飲むことが出来るもの」という形式が機能していることがわかる。これはコーヒーを飲む動作を成立させているものとして予期されるもののひとつである。
さらに反省をすすめる。すると、そこには、部屋、デスク、椅子、コーヒーカップ、コーヒー、取っ手、右腕、指、口といったいくつもの構成物が見いだされる。これらもやはりコーヒーを飲む一連の動作の成立に際して、形式として機能している。すなわち、部屋の中に椅子がある、私の身体がそこに腰かけている、デスクの上にコーヒーカップが載っている、それが腕を伸ばせば届く距離にとどまっている、コーヒーカップの中にコーヒーが入っている、コーヒーカップに取っ手がついている、取っ手に向かって私の右腕が伸びている、といった具合に。これはコーヒーを飲む際に機能するものとして予期される形式が、反省によって諸々の形式に分節化されるということだ。
会話についても同様である。私が同僚に向かって「雨が降りはじめた」と言うとき、「そうすればいつもと同じように目の前の相手が何らかの言葉を返すだろう」と予期している。そこには会話の成立に際して予期されるものとして、たとえば「音声を発すれば何らかの音声を返すだろうもの」という形式が機能している。これはさらなる反省によって、部屋に私がいる、目の前に同僚が座っている、窓の外が暗くなる、窓ガラスに水滴がつく、口を開けて「あめがふりはじめた」という音声を発する――のように分節化される。そして発した音声もまた「雨が/降り/はじめた」や「あ/め/が/ふ/り/は/じ/め/た」のように分節化されるだろう。
このように、反省によって見いだされる形式は、反省の繰り返しによって諸々の形式に分節化される。この分節化はどこまでも可能である。反省し続ける限り、私の身体やその周囲にある部屋、デスク、椅子、コーヒーカップなどは各部分に分解され、それに伴って機能する形式も分節化されていく。その結果、取っ手と胴の接着面が離れないでいること、座っている椅子の脚の高さがそろっていてバランスが崩れないこと、右手の小指が軽く曲がったままであること、部屋の天井が崩れ落ちないでとどまっていること——こうしたあらゆるものが、コーヒーを飲むに際して機能する形式であることになる。
しかし、実際のところ、日常において形式が際限なく分節化されることはない。コーヒーを飲むとき、掴んだコーヒーカップの取っ手が胴と離れることはないだろう、入っているのは毒ではなく実際にコーヒーだろうと予期するとしても、隕石が落ちてきて部屋が崩れることはないだろうとまで予期するわけではない。つまり、形式の分節化には、ある傾向があって、ある程度のところまでなされている。
また一方で、分節化される前の未分節な形式が、分節化されたのちの諸形式によって構成しなおされることがある。たとえば「それを口元に引き寄せればコーヒーを飲むことが出来るもの」は未分節な形式だが、分節化されたのちに「陶磁器製で飲み口、胴、高台、取っ手で構成され、その中に液体を入れることが可能であり、一般にコーヒーカップという名称で呼ばれるもの」のように再構成できるだろう。実際にこうした再構成はありふれている。ただし、分節化を経て再構成された形式は、もとの未分節の形式とは必ずしも一致しない。たとえば入れっぱなしのスプーンや飲みかけのコーヒーは、再構成の過程でとりのぞかれる可能性がある。その結果、いまは私がコーヒーを飲む際に機能しているが、私以外の誰かがペンを立てる際に機能するようになるかもしれない。これは未分節な形式が、分節化と再構成を経て、新たな形式として機能しうるということでもある。
以上のように、経験において機能する形式には、未分節のままで留まるものもあれば、分節化されるものもあり、再構成によって新たな形式として機能するようになるものもある。それらがどこまで分節化されるか、あるいは再構成によって新たに機能するかについては、ある傾向があって、それが日常を構成している。
こうした形式の性質について、それを保証する確実な支えのようなものがなく、頼りないものと感じるかもしれない。しかし、経験はその外部にある何かによって支えられていなければ成り立たないものではない。同僚と言葉を交わした後、ふたたびコーヒーを飲もうと自分のデスクを振り返ると、そこにコーヒーカップがある。さっき私が置いたものだ。話をしている間も、私はそれがそこにとどまっていると予期していて、現にその通りにとどまっている。それを掴んで、もうひと口飲む。このとき、それが取っ手と胴から構成されていて、さっきと同じように掴んでいる限りは離れないだろうと予期し、実際に離れない。だから次のひと口をのむときも同じように予期する。つまり、経験の外部からの支えがあろうとなかろうと、私の予期する形式はある強度をもって確かである。そして、その強度は経験そのものによって与えられるのである。
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形式は予期されたとおりに機能する限り、ある強度をもって確かである。諸形式の間に予期される分節化と再構成の関係も同じである。経験論とは、こうした諸形式の機能を反省することで、その成立に際して予期される形式、すなわち経験論的な形式を見出す作業である。
本論は経験論的形式に関する論述である。このとき諸形式が持つ特性が、その論述スタイルに影響することに注意しなくてはならない。たとえば、Aという形式がBとCという形式に分節化されているとき、Bの機能がAとCの機能によって規定されるだけでなく、Aの機能もBとCの機能によって規定されている。つまりAとBとCは、お互いに規定する関係にある。これは経験論的形式についても当てはまる。それらのあいだに相互既定の関係がある以上、Aを確定的に定義し、そこから天下り式にBを導出するというような論述のスタイルをとることはできない。そこで本論では、Aに関する暫定的な論述から始め、次いでそれに関連するBについて論述し、そこから再びAに関する論述に戻るというような作業を繰り返す。これによって、諸形式に関する議論の精度を高めることを図ることになる。